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うっとりで泣く うっとりで演じる

2013/12/29
セッションで[演じている]ときんたろうさんから言われ、浮かんだこと

場面は父親の葬儀
母が喪主の挨拶をしている。
泣き崩れる母
うっとりだ
夫の闘病を支え、看取り、気丈に葬儀をこなす妻
アピールするには絶好の場面
悲しみにくれる妻を演じる自分に酔っているのがよくわかる

私もあんな母のように、演じているんだろうか
いや、やっていない
頭の中でぐるぐる



子どもの世話を焼く
これは、母のようにならないためにやっていることだ

自分がやってほしかったことをやってくれない母
同じになりたくないから、子どもの世話を焼く
やっていて楽しくもなんともない
ということは、演じているということだ

うっとりで泣く
うっとりで演じる

と~~~っても嫌だけど、母がやっていることと同じ





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00:43 自分 | コメント(0) | トラックバック(0)

パニック

2013/12/24
旦那の救急車を呼んだ時、自分が何をするかに意識が向いて、自分の感情を感じられなかったのですが、これは子どもの頃から同じようなことをしていました。

父が交通事故にあったとき、小学校1年生の私とひとつ下の妹は父の友達の家に一月ほど預けられましたが、その前に、母の実家に預けられるという話がでていました。

私はその話を多分横から聞いていたんでしょう。
次の日、担任の先生に転校して母の実家で暮らす事になったと言いました。
そして、友達にも別れの挨拶をした記憶があります。
友達のなかには、持ち物の中からお別れのプレゼントをくれた人もいたように思います。

そのあと、預けられたのは父の友達の家だったから転校はしなかったので、記憶にはないけれど、きっと学校に行くのに都合が悪かったんではないかと思います( ̄□ ̄;)

救急車の時も、預けられる話を聞いた時も、パニックになっていたんだと思う。
パニックになって、自分の感情を感じないようにするために、自分がどう動くかに意識が向いてしまう。
これは、今も小学1年の時と同じ。

小学1年の時はこのあと、強迫症状、耳が聞こえない、授業中に何でもないのに先生のところに歩いていくなどの不審な行動があったそうです。
それも、今の自分とかなりかぶるところがあります。

強迫症状は今でも不安が高まると顔を出すし、耳が聞こえないのは固まったりどっかに行ってるのと同じ、先生の所にいくのは不安になってりんりんさんにメールするのと同じかなと思います。







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00:28 過去回想 | コメント(0) | トラックバック(0)

自分の不遇にうっとり

2013/12/22
2週間前に、旦那が酔って転んで、右肩を脱臼骨折しました。

一緒に飲んでいた人に家まで送ってきてもらった時は、旦那は泥酔していて
ひとりで立つこともできずに、右肩が痛いと言っても一人で座っていることもできなくて、救急車を呼びました。

救急車が来るまでの間、私の頭の中は

保険証は持ったか
このまま入院になるかもしれないから、私は自分の車で行かなければ着替えを取りに戻るのが大変だ
明日の出張は誰か代わりに行ってもらわくてはいけない。

そんなことがぐるぐる回っていました。

旦那のことが心配とか
旦那が怪我して不安だとか
そういう思いは全然浮かばず、
病院について、りんりんさんにびっくりした~とメールをした時に
ああ、私びっくりしてたんだと気がついたくらい、自分の感情を感じていませんでした。

自分がどう動くか
それだけに意識が集中していました。

パニックになった時、こうして感情を感じないようにしているパターンは、子供の頃からやっていました。

旦那は幸いなことに、脱臼を整復したときに骨折箇所もうまい具合に収まるべきところに収まって、入院せずに家に帰ってきました。

それから2週間
旦那が右肩が不自由で、それまで手伝ってくれた家事も頼めなくなったし、お風呂も一人では入れないので一緒に入ったりして、自分の時間がなくなったと感じていました。

それまでは、お風呂はスマホでテレビを見たりブログを読んだりする時間だったので、貴重な時間がなくなくなった感覚でした。

セッションでその時間がない感覚は誰のせいだと思っているのかと問われたのですが、自分は頑張っていると思っているので、誰かのせいにしていると思ってはいるものの、旦那のせいにしているのか、娘のせいにしているのか、母親のせいにしているのか、はっきり答えることができませんでした。


こうやってはっきり原因を特定することを避けて、自分の不遇にうっとりすることで、憎しみと向きあわない

うっとりを正当化するために、自分が我慢して一生懸命やっていることが、子どもにとってどれほどの重荷になっているのか

きんたろうさんから聞いたことを思い出しながら書いてみて、全部を理解するのはまだ難しいけれど、うっとりしている自分がやっと見えてきました。


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16:36 セッション | コメント(0) | トラックバック(0)
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