3/12セッション 覚書1
2016/03/13
昨日のセッションを振り返る。
私が旦那を好きなのに遮断してきたこと。
そうすることでしか、自分がされたことを再現できなかったのか?との、きんたろうさんの言葉。
母親からされた遮断の再現だとしたら、どこにつながるのか?
私から見ると、母親は人からどう見られたいか、それしかなかった。
で、私の位置は、母親側。
他者から見られる方。
母にとっての私は、アクセサリーみたいなものだったと私は思っている。
アクセサリーが存在感を示してはいけない。
あくまで引き立て役でいなければならない。
だから、旦那を遮断してきたのかも。
もし、そうなら、母の存在あっての私と思っているということだ。
アクセサリーは、直接見られてはいけない。
母親が引き立つように、母親のために存在するのだ。
それは変だ。
私は私だ。
母の付属品ではない。
私が旦那を好きなのに遮断してきたこと。
そうすることでしか、自分がされたことを再現できなかったのか?との、きんたろうさんの言葉。
母親からされた遮断の再現だとしたら、どこにつながるのか?
私から見ると、母親は人からどう見られたいか、それしかなかった。
で、私の位置は、母親側。
他者から見られる方。
母にとっての私は、アクセサリーみたいなものだったと私は思っている。
アクセサリーが存在感を示してはいけない。
あくまで引き立て役でいなければならない。
だから、旦那を遮断してきたのかも。
もし、そうなら、母の存在あっての私と思っているということだ。
アクセサリーは、直接見られてはいけない。
母親が引き立つように、母親のために存在するのだ。
それは変だ。
私は私だ。
母の付属品ではない。
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